師匠はタイピングの名手

 パソコンに挑戦するきっかけというのは、88年初めて出向したJCI関係委員会で、のちにJCI副会頭をされた樋口さんとの出会いにありました。とても凄い経歴を持たれた方でありましたが、なにわさておきとにかくワープロのタイピングが速いことにびっくりしました。
88年当時を振り返ると、姫路青年会議所でも議案をワープロ打ちして提出する委員長もなく、手書きの原稿を事務局の女性が、和文タイプでそれらしく仕上げていたのではないかと思います。こうなると一文字変更するためにも全部打ち直さなくてはならないという、今から思うと信じられないような非能率的な作業を繰り返していました(笑)。

 こういう時代背景の中で、日本JCの委員長という多忙な職責にありながら樋口さんは、委員会の間に自らワープロを打たれて一気に資料を作られるのです。この姿はまさに、私にとってはカルチャーショックそのものでありました。
そこで一念発起、樋口さんにワープロを買おうと相談すると「村角くん、そりゃこれからの時代パソコンやで。ワープロの時代はもう終わるよ」と教えて下さいました。
あまり考えることもなくまずは会社で一台、当時同じソフトが動き日本電気のパソコンよりもちょっと安かったエプソンの機械を買ってもらい、私の机の横に置くことにしました。社内でももちろんパソコンを使う社員など一人もいません。そしてこれも樋口さんのアドバイス通り、初期の「一太郎」というワープロソフトのテキストを買ってきて、ほとんど仕事もせずに一週間書いてあることをとりあえず全部やってみました。
「中途半端に聴いても一緒やから、どうせなら全部やれ」という言葉を、そのまま実践したわけですが、自分以外に触る人間がいないという状況では、とにかく独学で頑張るしかなかったのです。


 マカオのASPACだったでしょうか、ジャパンナイトという事業があり、これはJCI関係委員会の担当でした。樋口さんや96年副会頭で当時副委員長だった森下さんが作られたのでしょう、その時の資料を頂いて帰り、会社でそれをそのままそっくり打ち込んだことを覚えています。
罫線の引き方や文書の体裁など、テクニックを学習するには格好の題材であったと思います。
一太郎が解ってくると、次にとりかかったのは表計算でした。VPプランナーというLOTUS123のものまねのようなソフトをやって、少しずつレパートリーが増えていきました。ワープロと違って、同じソフトさえあれば、異なるメーカーの機種でもフロッピーで情報が共有できるというのが、まずパソコンの素晴らしいところだと思いました。



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