未来情報委員会、誕生!

 私が初めて情報化に親身に触れ合ったのは、94年度日本青年会議所岡田兼明副会頭のセクレタリーをさせて頂いて体験した、小原会頭を始め才門専務理事を中心とした日本JCの情報化の大きな流れがありました。また菊岡委員長をリーダーとする委員会が大車輪の活躍で情報化を浸透させるために奮闘されていました。
その時にペーパーレス会議と称して、それまでは分厚い紙の資料を繰りながら会議を行っていたものを、フロッピーが渡されパソコンを使って画面を見ながら進めることになり、「これは大変な時代になって来たんだな」という危機感のようなものを肌で感じざるをえませんでした。
しかしLOMに戻ってみると、依然として昔ながらの手法で会議が繰り返されており、昔先輩方が火をつけてくれた情報化の流れが、いつの間にか消えてしまおうとしていることに無念さすら感じたのです。

 どんどんと進む時代の流れの中で、食わず嫌いにならずに情報化に取り組もうというものが形として現れたのが、村角伸一君の主宰してくれたPCVANのサークル「はりま交流プラザ」であり、また和崎委員長が持論として説いておられた「姫路にインターネットのサイトを開設しなければならない」という強い思いもあって、私の意識の中での「未来情報」というイメージが出来てきたのでした。


 私が初めての委員長をやらせて頂いた時に「播磨空港建設促進」という、大変スケールの大きなまちづくり運動をしましたが、インターネットのプロバイダーというのもこの空港と同じようなものなのではないでしょうか。

姫路から東京へ行くのにも大変時間がかかっています。近い将来、これが他の地方都市と比較して「不便」と感じるようになるに違いありません。ただその危機感が誰にも解ってもらえない。「このままでは大変だ」という気持ちを、青年会議所メンバーだけでなく、多くの市民の方々に解って頂きたいと心から願っています。
情報化も同じで、このままでは取り残されてしまうという危機感を持たなければ、それこそ大変なことになってしまうに違いありません。

 また青年会議所運動も、世の中も、今大きな時代の分岐点にさしかかっています。理事長挨拶で何度もお話ししましたが、過去主流派だった体育会系のクラブが廃ってきて「いつでも自由に」という同好会的な方が最近はもてはやされています。
また自治会や婦人会など強固な組織力を誇っていた団体が、トップダウンで物事を行うことにそろそろ限界が見えてきているように感じます。
「強制より自由」、橋本年一先輩が改革方程式の中で唱えられた「ピラミッドよりオーケストラ方式」、そして「高齢化より若者を」という時代の流れを感じずにはいられません。
その中でトップダウンではなく、上から下へまた下から上へと意志がスムーズに伝達される情報化というのは、今後すべてのことに重要となるばかりでなく、非常に素晴らしいツールと言えるのです。

 私はワープロも打ったことがなかった人間でした。もちろん慣れないパソコンの操作には人一倍苦労をしました。人間とは弱いもので、時間があれば何でも出来ると考えてしまうものです。逆に「時間がないから後回し」という風になってしまいがちなんですね。今年はもちろん更に時間がなかったのですから、これは言い訳にすぎなかったのであって、子供でも自由自在に扱うのですからやればできるのです。
要はどのようにしてそのきっかけを掴めるか、そして自分の強い意志でやる気になって貫徹できるかということだなと痛切に感じています。



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