進め、ペーパーレス会議。情報化の夢を乗せて!

 そろそろ本題の「情報化」に進んでいきましょう。
私が「情報化」なるものに触れ合ったきっかけは、91年に総務室長という役職をお受けした時のことでした。この総務室には情報サービス委員会という情報系の委員会がありまして、四日市JCの大矢知君が委員長をしてくれていました。
私はその方面に非常に不案内でありましたので、基本的に「任せておけばすべてやってくれる」という姿勢でありました(笑)。しかしながら職務上JCNETというものがあるのに覗きもせずに「全然知らない」というのでは室長としての管理能力を問われてしまいます。そこで、手元にあった東芝のRUPOというワープロに無理矢理モデムを買ってきて付け、一念発起JCNETに挑戦することにしたのです。
その頃オンラインで書き込んだメッセージが、今もJCNETの中に残っているという話も聞きます。「伊丹の山本です」などとほんの数行あげただけのものですので、残ってしまっていることが大変恥ずかしい思いです(笑)。

それまで経験もなく、また役目柄仕方なく始めようとしたパソコン通信でしたが、結局は2・3度接続したきりでそのままになってしまいました。当時のワープロでパソコン通信をやるというのは結構大変で、つまりっぱなしでなかなか前に進みまなかったのも、それっきりになったひとつの要因ではありました。

 その後しばらくはパソコン通信からは遠ざかっていたのですが、それを再開したのは93年のことでした。94年度の会頭であった小原さんは、いつも日本青年会議所で私の上司でありました。私が総務室長の時は専務理事として、専務理事の時は副会頭として、そして会頭になられた時に副会頭をさせて頂きました。
そのように永らく一緒にやってきた小原さんが自己改革や環境問題ということの切り口に「ペーパーレス会議」というものを打ち出されました。今でも鮮烈に覚えていますが、93年の夏に嬉野温泉で開催された次年度の合宿の際に、その全容が具体的に説明されました。「日本電気の98でやる」というのもその時初めて聞きまして、後のメンテナンスや市場でのシェアなど何も考えずに「どうしてマッキントッシュでやらないのか」という失礼な質問をしてしまいました。「では何故マックなのか」と問い返された私が「なんとなく格好がいいから」という程度の認識しか持っていなかったのですから、随分と失礼な質問をしたものです(笑)。
その担当委員長が本年近畿地区協議会会長としてご活躍の菊岡泰政君でありました。


 このペーパーレス会議への試みには、姫路JC出身の岡田兼明副会頭共々、「正直言って上手くいかないのではないか」と語ったものでした。なぜなら、時間的にも8月の段階でまだ機種選定を云々議論をしている状態でしたから、このままではみんなが拒絶反応を起こしてしまってスムーズには進まないのではないかと危惧していたのです。
しかし驚いたのは、企業でも同じですが、トップの堅い信念と強いリーダーシップが、不可能と思われることも可能にするのです。何事にも動くまじという信念が、才門専務理事を始めとするスタッフに急速にくみ取られて浸透してゆき、新しいシステムを動かしていったのでした。
その頃はまだパソコンの便利さやデータベース会議の意義を享受するには至っていなかったわけではありますが、まあ物珍しさも手伝って、はじめてのペーパーレス会議はおっかなびっくりと進められていったのでした。

ペーパーレス会議の持つ本来の目的とは、パソコンを使ってやる会議自体はいわば最終の形であり、それまでの間に情報がデジタル化されることによって情報の共有化が計れたり、電子メールなどを活用することによって互いの連絡等において時間と空間を超越できて効率化が実現できるということです。また実際に会議を担当する事務方の労力が大幅に軽減ができるというものでもあります。
正副会頭会議、理事会、評議員会という一連の会議をやると、A4の紙が宅急便の箱ひとつくらいのボリュームとなりますが、それをフロッピーに入れると僅か数枚に入ってしまう。これは大変なことですね。

直接的に会議などに関することだけではなく、例えば「JCに入って何が残りましたか」とたずねると、たいていの場合「友達が増えました」とお答えになります。
私の場合はそれもさておき、パソコンの前に座って逃げたりたじろいだりすることがなくなったのは大変な収穫であったと思っています。
今現在、自分の会社にもペーパーレス会議で学んだことを積極的に取り入れて情報武装をしようとしていますし、正直これほどのメリットはありませんでした。
パソコンを使うことが目的なのではなく、そのパソコンをいかに道具として活用するかというのが、私自身ペーパーレス会議で感じ取った自分の収穫なのです。

 今後皆さんがペーパーレス会議を試行・実施するにあたって、大切と思うことをいくつかお話ししておきましょう。
94年に日本JCでペーパーレスがスタートした時は、先ほどを言いましたように「半強制」ではなくまったくの「強制」でパソコンを購入して頂きました。95年については、これを評議員にまで拡げて全員に強制をしました。これで良かったと思いますし、徹底をする姿勢というものが大変大切です。
またパソコンを買わせてIDを取らせるというのは、たいそう負担を掛けます。ペーパーレス会議以外のパソコンの活用法も一緒に教えてあげることも、実施する側の責任だと思います。 そして、現在アクセスに利用されているNCPは非常に便利なツールですが、これも菊岡君以降の委員長が、外注すれば天文学的金額になるであろうものを、委員会自らでアレンジしたり探して交渉したりして作り上げられた逸品です。このように労力を惜しむことなくより素晴らしいものを作り出して完成の域に近づけようとする努力を怠ってはいけません。将来はパソコンに弱い方々のためにも、テレビを操作する程度の楽々感覚で情報のやりとりができるように、いつまでも開発・改良を続けていってもらいたいと思います。

またペーパーレス会議を受ける側の皆さんにお願いしたいのは、当初判らなかったら反対したり抵抗したりせずに、なすがまま受け入れる努力をしてどっぷりと浸かってみることが大切ですね。じたばたと理屈をこねる前に、頭の中を真っ白にして教えてもらうという姿勢で取り組んで下さい。どんなことでもいったん「はまってみる」というのも大事なことです。出来れば出張先にパソコンを携帯していき、ホテルの電話から接続してみることに挑戦するのも、はまるきっかけになります。



この第4回情報化セミナーについてのご感想は、kotatsu@memenet.or.jpまでお寄せ下さい。