ヒストリー・オブ・JCNET

 初期のJCNETというのは、渡辺先輩を含めて5〜6人が常にとっかえひっかえ書き込んでいるという状況で、何日も「新しいメッセージはありません」と返ってくることなんかざら、時には1ヶ月以上もメッセージが入らないことさえありました。その創始のメンバーも皆さんご卒業にされてしまいましたが、まさに現在のJCNETでは想像もできないような状況であったわけです。

 さてこのような状態のままではいけないと、本格的にPR(布教)活動に乗り出したのが90年でありまして、私が初めて日本JCの情報ネットワーク委員会に出向させて頂いた年でありました。
情報サービス委員会から名称を変えたこの委員会は、その年初めてネットワーカーがメンバーに入った情報委員会でもありました。それまでは「出向したからパソコン通信をしなくちゃいけないな」という方ばかりで、「パソコン通信をしているから出向しよう」というような常時書き込んでいるメンバーが私を含めて4人程いました。まあ委員会のスタッフ会議でパソコン通信の説明をしても充分には理解してもらえない状況でありましたので、当然のことながら自然と、私たちが委員会の中で活躍するにつれて、実務において中心的役割を果たすことになったのです。97年メディアコミュニケーションの委員長をする山城JCの田村君などは、この初期の頃に出向してパソコン通信を始められた部類の方なのです。


 沢山の方々の献身的な努力で「JCNETは楽しいぞ!」というような話があちこちで聞かれるようになりました。また現実に書き込まれるメッセージも急速に増加していきました。
そのような中で92年、私はJCNET拡大担当の副委員長として出向することとなります。一般的には、91年までJCNETユーザーというのは、異端というかちょっと特殊な存在と思われている時代でした。評議員NET(後の役員NET)を立ち上げたり、拡大のために全国行脚をしたりしながら実行したのは、コミュニケーションだけであったJCNETを、組織として活用できるようにシステマチックに変換しようということでした。
組織としての部分をある程度強調しなければ、JCの中では受け入れられないというのが現実です。当然のことながら利用者の方々との摩擦は生まれましたが、組織としての運用がJCNETの本来の成長には不可欠であると信じて、積極的に変革を推進しました。
結果的にこの92年があったからこそ地が固まって、現在のJCNETがあると言っても過言ではないでしょう。



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