もうひとつの衝撃「ペーパーレス会議」

 94年に日本JCで始まったペーパーレス会議も、カルチャーショックを与えてくれました。小原会頭の思いと菊岡委員長の実行力で、どちらかと言えば「強引」な側面を持ちつつも(笑)スムーズに押し進められた会議システムの改革なのですが、実際に「会議から紙がなくなる」という効率的効果はもちろん、そこに至るまでの過程で不可欠な情報のデジタル化は、企業の業務においてもそのまま活用できるものでもありました。

それまでの日本JCでの理事会を振り返ると、私が委員長をさせて頂いたこの前年までは完璧なアナログでありました。理事会の資料は、自分の手で100部程度コピーをしておいて、それを日本JCの事務局へ送り、これを全体資料の中に差し込んで頂くようなことをしていました。資料が5枚あれば計500ヘージは必要なわけで、本当に無駄なことをしていたものだと反省しています(笑)。

 そもそもJCに入会させて頂いて、何かいいものを勉強させてもらったり、素晴らしい人から啓蒙を受けたりしながら自分は成長していくわけですが、これを地域や会社、そして家庭にもって帰るべきだなどという生意気な持論を持っています。
例えば理事会でやっている会議手法はもちろん、議事次第の作り方に至るまで、会社の会議にそのまま活かすことが出来ます。それまではオーナー社長の独断場であったものが、だんだんときちんと整理され円滑に運営されるようになってきたのです。それまでは「社長と顔を合わせると何を聴かれるかわからん」と言って避けていた社員も、情報化などということではなくても、JCで学んだ仕組みを会社で試すことができればどれほど役立つことでしょう。


 今回注目をして頂いている我が社のLAN(Local Aria Network)ですが、これもJCにいたおかげで出来たと言っても過言ではありません。94年に理事長をさせて頂きながら出向させてもらった、APDC開発担当役員をしていた時期にきっかけがありました。

大阪JCに内田さんという方がおられて、彼はバンクオブアメリカで社内のダウンサイジングを担当されていたという経歴をお持ちでした。APDC財政顧問として出向されていた時、開発担当役員としていろんな活動を一緒にやっていく中で「これからはLANの時代ですよ。インターネットも必ず普及して、ネットワークはなくてはならないものになります」と力説をされておられました。
この彼をコンサルタントとして、ホストコンピュータの管理をするのが仕事であったシステム室が様変わりをするようなダウンサイジングとネットワーク化を助言に従って展開して来たわけです。

 ポイントとしては、ただ単に新しいものに飛びついたのではなく、段階的にきちんとシステムを拡大して行っているところでして、いわば自分の弱点を強力にサポート頂ける内田さんのような存在があったればこそ、社内のシステム開発も進んでいくのであります。



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