パソコン通信はビジネスの福音!

 88年というのは奇しくもJCNETが日本JCでスタートした年でありましたが、JCI関係委員会ではまだそれをどうこうという動きまではまったくありませんでした。私がパソコン通信に初めて触れ合うのは、姫路JCで開局された「はりまタウンネット」であったと記憶しています。
これは当時全国的規模で大変注目を集めた事業でして、和崎さん達が再々NHKで取り上げられる度に、それは興味深く拝見していたものでした。

 苦労話を言えば、せっかくモデムを買ってきたのに会社にはビジネスホンしかなくて、これがそのまま繋がらない。こちらは超素人ですから、何が悪いのか見当もつかず随分と悩んだものでした。
今から思うと2400BPS程度の遅いモデムでしたが、ホストと繋がってオープニングメッセージが自分のパソコンの画面に出てきた時には、それはそれは感動したのを、まるで昨日のことのよう覚えています。


 パソコン通信なるものを始めてみて、実際に体験した電子メールのやりとりには大変新鮮なショックを受けました。私がパソコン通信をそこそこ本格的に利用することになったのは、92年に当時脚光を浴びていたJCNETに参加するために、PCVANのIDを取得して、全国各地の仲間達と電子メールのやりとりを始めてからのことでした。複数の方々に一気に同胞メールで情報が届いてしまうというようなことは、姫路に本社があって全国各地に出先を持つ私たちのような企業にとっては、まるで夢のようなことが実現できるという可能性を秘めているわけです。

それまではファックスや郵便、宅配便などでのやりとりでしかなかったものが、即時性や経済性の面でも充分に補完できる可能性があります。もちろん全てがそうなるわけでもないのですが、導入効果は計り知れないものであると考え、一時は社員全員がPCVANに入って社内メールを運用しようかとも真剣に考えたりもしました。現実問題としては、かかるコストの面からこの方法は取らずに、「ヒメプラNET」という独自のパソコン通信システムを立ち上げたりしました。
とにかく各拠点に一台ずつパソコンを入れて、その教育に自らが2回くらい回り、ひとつずつ「一太郎の使い方」から「メールの送受信」の方法まで懇切丁寧に指導してきました。これにモデムを接続して、本社からの資料や拠点からの簡単な報告書のやりとりがスタートすることになります。

 このようにシステムの概要を固めるまでには、いろいろな試行錯誤的トライアルもありましたが、実質的にやっとフロッピーで情報の共有が出来上がったのが、まさにこの時期ではなかったでしょうか。ファックスでやりとりした内容を、別の部署で再度入力をしたり、また紙の情報のままコピーして利用するよりも、フロッピーでやりとりすることの便利さというものが、きちんと社員に浸透し認知されてきつつあったのです。
ここまでは日本電気やエプソン系のパソコンを導入してきたのでしたが、あるきっかけがあってそれまでは敬遠していたDOS/Vパソコンに主力を切り替えたのも、丁度この時期のことでした。



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